初代講元 二代講元・布教所の設置 二代会長 三・四・五代会長
■初代講元
  初代講元羽沢春松は、吉松、タケ夫婦の長男として、嘉永2年2月18日に、岩手県二戸郡荒
屋村314番地(現在の田の沢)に生まれた。
当時の家庭としては財産も多く、なに不自由のない生活に恵まれていたが、長男の早逝、長女、
二女と、子供の病気が絶えず困り果てていた。
  たまたま目名市の生家に来ていた田中(旧田山村)の安保佐太郎から不思議なご守護のある
天理さんの神様の話を聞き、布教に来ていた秋田県鹿角郡曙村(現在の鹿角市八幡平)の桜田
初之丞からおさづけを取り次いでいただき守護をいただいた。
初めて聞く親神様のお話、またお礼参拝に鹿角の教会(当時は講)で諄々と聞かせて頂くご教理に 
深く感じ入り、自分の家のいんねんについて悟るところがあった。
 春松は、明治32年天理教に入信、翌々年の34年1月にはおぢばがえりをして初席を運び、同
年10月に満席、おさづけの理を拝戴している。
また明治34年2月15日復古改祭を届け出て、翌年35年管長省詞下附となっている。
 用木となった春松は、全ての財産をお供えし、たすけ一条の道となり日夜おたすけに奔走し、家
屋敷を売り払った。 後は、荒澤村の大森喜弥太(現戸主 大森一繁) 通称向久保の大家の旧宅
(当時間口22間奥行7間)の一間を借りておたすけに励んだ。
そうした中、当時の信仰に勇んだ人々が相談して、明治36年11月斬道会第300号の講を結び、
春松が初代講元(講脇佐藤卯之松…嶽東大教会史による)となった。
  初代講元となった春松の信仰は燃えたぎり、荒澤、田山と一層勇みたった。
当時の布教の道すがらについて、今は亡き安保佐太郎が、
初代講元のおたすけ活動は、厳しい警察の弾圧の中で続けられた。道路で待ち構えては
「春松、また天理の布教に行って来たのだろう」 と足で蹴り飛ばされる毎日で、腰には減ることも
増えることもない油瓶をさげて、足下蹴りされけ飛ばされながらも、いつも 
「いいえ布教に行ってきたのではありません。油がなくなったので買い行ってきました。」 と、
いつも変わらぬ返事をしながらのおたすけの日々だったと、涙ながらに述懐されていました。
 教祖のひながたの道を慕いながらの初代講元の道であったが、明治39年4月18日、
子孫に天理の信仰を続けるようとの言葉を残し、間借りしていた向久保の大森宅で出直した。